ネジコラム


ネジの歴史や特殊加工の裏話等、様々なコラムのページです。


ネジの歴史

ネジは日常生活に欠かすことのできない大切な製品ですが、その起源は・・・

ある晴れた日に浜辺で貝掘りをしていた原始人が、たまたま先の尖った巻貝を見つけて、それを葦の棒に突き刺し”回転して”外した。
これが人類とネジとの最初の関わりであったとされる。
(1987年ストックホルムで開催されたISO/TCIの第13回本会議における記念講演『ネジの技術史』の要旨から抜粋)

と言うことになっているようです。

今となっては誰にも本当の出来事かどうかは判りませんが、

真っ青な空と海の間で我々の祖先の一人が汗にまみれながら

葦の木に巻貝を突き通している姿を想像すると、映画の1シーンが浮かんでくるような気がしませんか?


日本へのネジの伝来/ねじ切り事始め

日本へのねじの伝来は、1543年に、種子島に漂着したポルトガル人の船長から、時の種子島藩主『種子島時堯』が鉄砲二挺を二千両で購入したことがきっかけでした。

この新しい武器の威力を知った時堯は早速、その鋳造を刀鍛冶の名人『八板金兵衛』に命じ、

参考として一挺を金兵衛に与えましたが、名人の金兵衛と言えど、

どうしても造れなかった部品がひとつだけありました。

それは銃身を固定する為に雄ネジがねじ込まれる銃床の筒の中にある雌ネジで、

銃底を塞ぐための尾栓ねじ(ボルト)とは違い『やすり』と『たがね』のような加工工具しか持たなかった

当時の技術では細工できないものだったのです。

そこで金兵衛は大変な努力と試行錯誤を重ねた結果、尾栓の雄ねじを雄型として、

”火造り/熱間鍛造法”で銃底に雌ねじを作るという方法を編み出すのですが、

これが我が国におけるねじ製造の起源とされています。

その後鉄砲は、泉州(堺)、紀州(根来)、滋賀(国友村)等で、

尾栓ねじの製造に様々な工夫と改良が加えられて全国に普及し、

織田信長をはじめとする戦国武将の天下取りの主兵器となるわけですが、

他の多くの工業製品同様、ネジも兵器産業の発達と共に進化した製品と言えるようです。